☆ 目次 ☆

出会った人

誰でもそうでしょうが、、、
インドへ行った人は必ず思い出に残る人との出会い
遭遇する事が多いのではないでしょうか。
たとえ短い時間でも深い印象を受ける楽しい出会いだったり
冗談じゃない!と怒髪天を突く様な出会いだったり、、、
良い出会いも悪い出会いも、両方が混在し、鮮烈な記憶が残ります。
何気なく立ち寄った店の店員や、料理屋の給仕とかホテルのスタッフにしろ
何故こんなに記憶に残る人達なんでしょう、、、。
インドでは人と人の距離が近い、、、と表現した人がいましたが、
確かにその通りで、ふつうなら機械的に業務的に行われるはずの全ての手続きに、
人の好奇心だったり、親切心だったりが巻き付いてくるようです。

ヨーロッパへも何度か言った事がありますが、そう云う人と人とのコミュニケーションは
日本と同様、それほど濃密ではありません。
買物をしても、誰かに道を聞いても、その人が記憶に残る人になる確立はそれ程高くはありません。
お行儀のよい、教育された人達は必要以上に他人に感心を示しすぎない様にするものです。
それがマナーだとも思いますし、普通なら私もそうでありたいと思います。

インドでは、、
普通に町を歩いていても、ハプニングや出会いは確実に向こうからやって来ます。
笑っちゃいますけど、確実に毎日!!向こうから突進して来ます。
孤独な人はインドやネパールに行って見ると、きっと孤独を感じる事も少なくなるはずですし、
同じ町に3日も居れば何人もの顔見知りが出来るでしょう。

・チェンナイから来たおばちゃん・

ハリドワールで滞在していたホテル・ハリガンガ。
ここで私達と同じ日程で滞在していたインド人の団体がいました。
団体と言っても皆親類縁者らしく、身なりの良い年配の方達でした。
その中の一人のおばちゃんがとても気さくで話し好きな女性でした。


最初にロビーで会った時から
「どこから来たの?」
「まあ、日本。良いわね。行ってみたいわ。日本はいつの季節が一番素敵かしら?」

と矢継ぎ早に質問攻めです。
「日本は4月が良いですよ。桜が咲きますから。」と答えると
「行くわ。その内。」と微笑んでいました。

そのおばちゃん達一行とはロープウェイの上、マンサ・デビ寺院の人混みでも
ばったり会ったりして、ご縁があった様で、
私達がホテルで昼食を取っている時に再びレストランで再開しました。
すると、おばちゃんはお皿を持って私達の席に来て
「ご一緒していいかしら?」と言いました。
「もちろん、どうぞ。」と一緒に昼食です。
「ここのドーサは美味しいのよ。ぜひお食べなさい。」と私達の昼食を仕切るおばちゃん、、、、
ちょっとお金持ち風の女性なので聞いてみました。
「ご主人は何をされているのですか?」
すると「チェンナイでレジャー施設を何カ所か経営しているのよ。」
「お金持ちなんですね。」と私。
おばちゃんは普通に「ええ。」と答えます。
「お子さんは何人ですか?」
「息子が二人よ。一人はドバイに住んでいて孫もドバイなの。来月会いに行くのよ。」と。
相当金持ちだわ、、、、と感心する私。
でも、おばちゃんはバザールで買った安物の腕輪やアクセサリーを
「ほら、これ可愛いでしょ。」と嬉しそうに私達に見せます。
中にはオモチャのカスタネットみたいな楽器もあって
「これを叩きながら私、歌を歌うわ〜」と歌いだすのです。
ばちゃん、、マイペース、でも可愛い、、、
食後、おばちゃんはボーイに水を運ばせて、白いカプセルを飲みました。
「なんの薬ですか?」と聞くと
「Suger、、、、」と、、。
「糖尿病なんですか?」と言う私の問いに「Yes」とちょっと顔を曇らせるのでした。
「でも、いいのよ。薬飲んでるから。」とバッグの中に沢山入っている
甘そうなインドの飴をなめのるでした、、、
病気をコントロールする事よりも楽しむ事を優先させるのね、、、
少しダイエットした方が、、、、とか思うのは余計なおせっかいかしらねぇ〜
「明日、リシュケシュに行くのよ。」とおばちゃん。
「まぁ、私達もですよ。」
「あら。まあ。」
「もしかしたらまた会えるかもしれないですね。」
と私が言うとおばちゃんは大笑いするのでした。
「今度はチェンナイにいらっしゃい。」と別れ際におばちゃんは言いました。
はい、ぜひ。

・謎のIT系・

ハリドワール、ホテル・ハリガンガ。
ある日の昼食後、ガンジスの見えるテラスでまったりしていると一人のインド人の
若い男性
が声をかけて来ました。
彼はデリー近郊に住んでいるそうですが、一人でこのホテルに滞在しているとの事でした。
身なりは悪くありません。教育も受けているような物腰、、、
でもどこか暗いしオタクっぽい、、、
それで子供達は彼を「IT系」と呼んでいました。
彼には色々インドの流行ものを教えてもらいました。基本、親切な人です。
今、流行っているミュージシャン、映画、人気の有るお菓子、、等々。
それらを聞くと彼はじーっと宙を見つめ、真剣に考えながら答えてくれるのでした。
その様子が暗いんだっーの、、、

娘が彼に流行の音楽を聞いていた時の事です。
彼は何人かのミュージシャンの名前をノートに書いてくれました。
そして、「携帯に転送してあげるよ。」と娘に言いました。
でも、私達はインドで使える様な携帯電話は持っていません。
「携帯は持って来てないの。」と娘が言うと、
その時の彼の驚きはこっちが驚くくらいでした。
「ええーー!! 日本人でしょ??」って。
露骨に信じられない顔をするのはよせ!  IT系。
日本人にだって携帯依存症じゃない人間だっているのさ。

一応、町に出た私達はCD屋に入って、彼お勧めのミュージシャンのCDを買いました。
その内の一人はインドでは国民的に人気の有る人だった様で
何気なく点けたテレビ番組に出ていました。

次の夜、ディナーブッフェで彼にまた会いました。
小さいホテルですので、ロビーやレストランで出会う事はしょっちゅうなんです。
彼は「僕の薦めたCD買った??」って聞いて来ました。
はいはい、、、買いましたよ。
でも彼お勧めのアーティストの中のMIKA、、というグループはパスしちゃいました。
もろヒップホップ、、、Yoo〜って感じだったし、、、
娘曰く、勘違い系、、だとの事なので。

しかしこの謎のIT系。
なぜ1人寂しくこのホテルに滞在しているのでしょうか。
さすがにそれは聞けない、、、
一人熱海?
失恋して海を、、じゃなくてガンジスを見に来たの?

私達がハリドワール最後の夜、彼は廊下で
「僕は明日チェックアウトして家に帰るよ。」と言っていました。
「私達は明日、リシュケシュに行くの。」
「元気でね。」「元気で。」と皆で握手して、一緒に写真撮ってお別れしました。
ささやかなご縁でしたけど、色々教えてくれてありがとう。
幸せになってね。IT系。

・バックパッカーfrom Arkansas・

インド英語のあまりの難解さに毎回ヘロヘロになる私ですが
今年はいつも以上に参っていました,,,
何であんなにRを強く発音するのでしょう、、イントネーションも変だし。
簡単な単語さえ聞き取れなかった時は深く落ち込んでしまいそうになります。

「あーーーー面倒くせーなーー。」とイライラしていた日の夜、
レストランに一人で来ていた欧米系可愛い青年を発見。
私の方から人に話しかける事ってめったに無いのですが、思わず聞いてしまいました。
「済みません、、。ネイティブスピーカーの方に聞きたいのですが、
インド人の英語って判り難くないですか?」

すると彼は一旦深く息を吸って、嘆く様に言いました。
「 Very very difficult! 」
やっぱりそうだよね〜、と内心ほっとした私は自分の席に戻りました。
するとその金髪の彼が私達のテーブルに来て、綺麗な英語で
「ご一緒してもいいですか?」と。
私は思わず「sure」と答えていました。
それから私達3人と彼と楽しいおしゃべりです。
彼はもう3ヶ月インド中を旅しているとの事、一昨日北インドに来て、それまでは南にいた事。
北に来たその日に列車の中でお財布を盗まれて落ち込んでいた事
アーカンソーの大学を出たばかりで教職を取っていた事などなど、、。
彼は私達の為にとてもゆっくり綺麗な発音でしゃべってくれていたのだと思います。
なぜなら、まるで英語の教材テープの様な聞き取り易さ、、、
優しい子だわ、、、と思いました。

娘と息子も彼とならしゃべれるらしく、色々な話題になっていました。
ドラゴンボールの話までしています。
不思議ですね。インドでアメリカ人とドラゴンボールの話をしているなんて、、、
「マケインは嫌いだよ。次はオバマがいいよ。」と彼。
今度はインドでアメリカ大統領選の話になっています。
そこで私は「インドの旅が終わって国に帰ったら何をしたいの?」
と興味があったので聞いてみました。
つまりは3ヶ月もインドをほっつき歩くアメリカ人は何を望んでいるのか、、
すると彼は、
「来年は奨学金でアルゼンチンに行って社会奉仕するんだ。夢は政治家だよ。」と答えました。
私達は「ほえ〜」っとなりました。
でっかい夢ですね〜。
思わず「上院議員から大統領になってね〜」と言っちゃいました。
たしかに彼からはどこか真面目な匂いがしました。
ボロいジーンズにヨレっとしたTシャツ姿ですが、とてもお行儀が良いのです。
インドを3ヶ月も旅した様な欧米人達の発する腐臭の様なものがないのでした。
お互いのカメラで写真を取り合って、アドレスの交換をして別れました。
今頃、どこを旅しているやら、、、、

↑そう書き終わってメールをチェックしたら彼からメールが来ていました。
ダライ・ラマに会う為にインド北部のダラムシャーラーに滞在しているそうな。
ダライ・ラマを「great teacher and non-violent activist」と絶賛していました。
彼は本当に、若く夢見る気持ちのよいアメリカ人青年でした。